サンタ・テレシータといっても日本の皆さんには馴染みがないかもしれない。日本地図にたとえて言うならば、サンタ・テレシータは、「フィリピンの豊富(稚内に近い)」くらいの感覚である。マニラから北へ約600KM、台湾に近い所で、平らな大地にひたすら水田が広がる。町の産業は、主に農業(米作)である。
私どもは2002年以来、サンタ・テレシータのろう者とかかわりを続けてきたが、どこにでも学校を建てるわけにもいかず、思案していた時に、カガヤン地方の首都ツギガラオ市にある聖ルイス大学の小学部のろう児部を訪問する機会があった。後にそこの先生方の協力を仰ぎ、更には大学事務局に特別の計らいをお願いし、5人の生徒を小学部に受け入れていただけた。2人の男児は、数ヵ月後生家に戻ってしまったが、3人の女児が同市へ転居し、通学してきた。しかし、20人以上のろう児がまだ家庭に残されたままであった。
このような背景を受けて、当会は、2009年、サンタ・テレシータ教会(フランシスコ会経営)を訪れ、主任司祭の協同を依頼した。責任分担はこうである:先生たちの旅費、小遣い、生徒たちの交通費全額、教育教材などを当会が負担し、教会側は、場所、宿泊の部屋、滞在中のすべての食事を負担することで合意した。
こうして2009年6月に始まったサンタ・テレシータのリテラシー・クラス(識字クラス)は、始め子供たちに学習習慣がなく、クラスを成立させるのに困難を極めたが、アンジェラさんの多大の努力と忍耐、そしてカテリンさんの協力が結実し、次第に生徒も固定し、クラスの様相を呈してきた。特に、ほとんどの生徒が10歳以上で基本的生活習慣はすでにでき上がっているので、学力別にクラスの予定を分け、問題が顕著な生徒には、一対一の授業にするようにしてからは、スムースにクラス運営が出来るようになった。当初、2人の先生(ろう)は、時間通りに教室に行き、生徒たちが来るのを1時間でも2時間でも待つ日が続いたという。
そしてしばしば来ない生徒の家を訪ね歩き、登校するように励ますのである。その中、雨が降ったら生徒が来ない理由も呑み込めた。家の周りに排水溝が全くないため、雨が降るとすぐ洪水になり、家から出て歩けないのである。カガヤン地方は台風の通り道で特に雨が多い。その水たまりで遊ぶこともあるが、その後にすぐ風邪をひいたりして体調を崩す子供が多いのも事実である。やがて子
供たちはクラスに通うのが待ち遠しくなった。長い間、ろうの先生を待ち望んでいたかのように。「ろう」であるということを「障害」としてではなく、自分に与えられた既成の事実として自然にお互いを受け入れ合う。2人の先生は、英語、数学、フィリピーノ手話、科学、絵画、お祈りなどを教えた。去る3月10日で一年間のすべての予定を終了、現在は夏休み。最後まで、努力し続けたのは7人の生徒たちである。
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